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英文学の講義は何事もなく教授の話を聴くだけで終わった。機械的にノートを取っていただけで、頭の中には何も残らなかった。 かといって、何かを考えていたわけでもなかった。 さっき天羽たちと会話していた内容が蠢くわけでもなく、その張本人らしい杉本梨南のことにも思いは巡らず、ただ真空のまま、座っていたにすぎなかった。 鞄をかかえ、大学校舎から出る。私服姿の大学生に混じって制服姿の自分だけ目立つ。 ジーンズとTシャツのみの格好で、自動販売機のジュースを手に一気飲みしている学生たちの前を通り過ぎ、上総はそのまま高校校舎へ向かった。まだ外は明るかった。 「おせえよ、立村」 呼びかけられた。貴史の声だった。完全に男子として形づくられた声だった。 「ごめん、悪かった」 「バスケ部の練習、今日はちょっと早く終わったからな」 運動部の練習が六時前に終わるとは正直考えられない。何かあったのかもしれない。ちらと思ったがあえて知らん振りをした。ポロシャツのボタンを三個とも外した貴史は、まだ乾ききっていない髪を何度も振った。シャワーを浴びる時間があったということは、そうとう早く片付いたのだろう。 まずは自転車置き場へと向かった。 「お前今日、なんか食ってくか」 「そうする」 「学食にするか」 「そうだね」 父の居ない日は時々こうやって手抜きをする。 元評議委員連中の姿は見えなかった。カフェテリアで茶碗一杯のご飯と酢豚のあんかけ、そして味噌汁を選んだ。計350円なり。貴史は貴史でカツ丼を注文している。こちらも同じ値段だ。さらに小ぶりの椀に入ったうどんまで選んでいる。よく食えるものだ。上総が感心していると、 「お前こそさあ、これでほんと、足りるのかよ」 真顔で問い返された。 「足りるよ」 「信じらんねえ」 一刻も早く腹に収めたかったらしく、席に着くやいなや貴史は一気に喉へ流し込んだ。「流し込んだ」とは液状のものを言うのだろうが、貴史の食欲は固形物すらも流れてしまう何かがあった。迫力のある食い方だ。 「立村、お前どうして卓球やらねえの?」 上総が静かに箸であんかけの酢豚を口に運んでいると、あっというまに平らげた貴史がもぐもぐ言わせながら問い掛けた。 「運動部は嫌いだし」 「けど、今、暇なんだろ? 放課後お前何やってんの」 「やってないよ」 「つまらねえの」 「そうでもないよ」 何度か繰り返されたやり取りだった。上総からすれば最初から「部活動に参加する」という選択肢は持っておらず、自然と帰宅部へ収まる形を取っていて、別に不都合はない。もちろん評議委員時代のように学校へ居ずっぱりということは少なくなったが、附属中学から上がってきた友だちとこうやってしゃべるだけでも十分だ。 「卓球やりゃあいいのに。川田が言ってたぞ。立村なら結構インターハイくらいまでいけるんじゃねえのってさ」 「冗談じゃない」 聞き流した。卓球限定でなら、人並みの技量があることは自覚もしている。球技大会において卓球さえ選んでおけば、あとは余計な口出しをされずにすむことも気付いている。しかし、あくまでもそれは身を守るための武器であって、それでもって外に打ち出そうとする気はさらさらない。第一、身体をいじめるだけいじめて試合をすることに意義などあるのか。 「悪いけど地球が滅びてもそれはありえない」 「あっそっか。じゃあ、文化部だったらいいのか」 貴史はいきなり矛先を向けてきた。まだ半分も手をつけていない酢豚と茶碗を見下ろしながら上総は首を振った。 「いや、それもないな。やりたいことがない」 「図書局とかどうなんだよ。お前本読むの好きだからさあ、ややこしい原書とか読んでるしな。古川が言ってたぞ。休み時間と放課後は本を何冊でも借り放題だから、読書マニアには居心地のいい環境だってな」 確かに惹かれるところもあるのだが、それも考えられなかった。 「羽飛、古川さんが入っているということは、どういう話題になるかは想像つくよな」 「……ああ、まあな。エロ本仕入れていきなり渡される可能性大だなあ」 「だろう? クラスの中だけでそういう話は十分だな」 黙った貴史を目の前に、上総はいそいで残りの食事を平らげた。 ──やはり、羽飛も何か先生方から言われているんだろうな。 想像はついていた。 かつて三年間中学時代を過ごし、ぶつかり合った関係だったから。貴史の友情あふれる態度が、当時の上総にはありがたくもあり、また重たくもあった。間に美里が入り、ちょうど奇妙な三角関係を形作ったことも、混乱の原因だったのかもしれない。 ──もし、清坂氏と付き合ってなければ。 もっと楽に貴史ともばかやれたのかもしれない。 貴史と美里が物心ついた頃からの幼なじみで、周囲からは誤解されることもあるとはいえ、「親友」としての繋がりを保っていることも、上総は知っていた。本来ならばその「誤解」こそ「真実」なのではないかと上総は思ったりもするのだが、あえて口には出さなかった。 本当の意味で、貴史と向きあえるようになったのは、卒業式直後からだろう。 貴史も今は、余計な説教をかましてくることもなく、ただ自然に語りあうのみ。評議委員としての活動も、特に問題なくこなしているようだし、不必要に上総の方からアドバイスすることもない。いわば、完全に学校とは別の世界で語っている感じがする。それが心地いい。 部活動の件については貴史もこれ以上深く追求することはなく、 「アイス買って来る、食いたりねえ」 信じ難い胃袋を見せつけるように立ち上がった。戻ってくる間に食器を片付け、上総はぼんやりとコップの水を見つめて座っていた。 完全に真空だった。 アイスバーを渡され、溶けないうちにまずはかぶりついた。貴史ほど食べたりないところはないのだが、冷たいものを口にするのは嬉しかった。ちゃんとその分小銭で支払った。 「あのな、立村、最近美里と会ってるか」 歯型をアイスバーにくっきりつけたまま、貴史が尋ねてきた。 「会うもなにも、毎朝英語科の教室に来ているから、話はしていくよ」 「ああ、A、B教室隣りだもんな」 「たぶん古川さん目当てだと思う」 「女子っつうのはなんでああもひっつきたがるんだろうなあ」 のんびり語る貴史。また一口、大きくかじりとり、 「まあ、しゃあねえよな。B組がああいう状態だったらな」 しゃきしゃき勢いよく食いついていく。 「ああいう状態というと、やはり、女子たちと清坂氏はうまく行っていないということか」 「お前知ってるだろ?」 「根掘り葉掘り聞くのもな」 C組にたまたま元評議連中、および貴史、南雲が配置されたこともあって、上総も休み時間はほとんど一緒に過ごしている。美里もちょくちょく顔を出している。話すことといえばテレビ番組やらファッションやら、他愛のないことばかりだ。自分のクラスにいたがらないという点だけははっきりしているので、居心地よくないのだろうとは感じていた。 「まあなあ。B組の評議女子見ている感じだと、ありゃあ美里とは天敵になるだろうって感じだしな」 「外部生の、確か静内さん、だったか」 名前は知っている。関崎と噂のある女子だ。 「お前よく知ってるなあ」 「多少は。評議委員だろう?」 誰もがB組の女子評議委員は美里に決まると思っていたのに、いざ蓋を開けてみると圧倒的多数で静内という女子に軍配が挙がったという信じ難い出来事だった。あとで詳しく聞いてみると、美里が何気なく静内にアドバイスしたところ、きっぱりと突っぱねたところにみな、感じるものがあったらしい。仮に中学時代だったら、美里よりも静内の方に矛先が向いていただろうが、そこらへんはやはりいろいろある。 「まあなあ、ただ、評議ったって、たいしたことやってねえぞ。立村のイメージしている評議委員会とは全然違うしなあ。第一部活動を続けたままやれるってことが、すべてを物語ってるってわけじゃねえの?」 「そうだな、確かに」 貴史が美術部とバスケ部を兼部していることがすべてを物語っているように思える。しかも今はわりと、真面目に活動しているようだ。上総からすると体力的にも無理なものがあるように思えるのだが、そんなのお茶の子さいさいらしい。 「たーだ集まって、たーだ先輩方の話聞いて、たーだ結城先輩のアイドル談義を聞いて、それで終わりだぞ。立村みたいに、本条先輩みたいな先輩にこき使われることもねえし、せっかく楽しみにしてた演劇もねえみたいだし、ほんとつまらん」 評議委員会に限らず、他の委員会もその傾向は強いようだった。規律委員の南雲もまた、同じことを話していた。 「最後は古川にエロエロ話持ちかけられてちゃんちゃん、っての。すげえ虚しいぜ」 「それはご愁傷様だな」 古川こずえの愛に満ちた下ネタ攻撃に、まだ貴史は陥落していないようである。 「ところで立村、お前美里のことなんか聞いてねえか?」 アイスバーが一本の骨だけになり、しばらくもてあそびながら貴史が尋ねた。 「何かって? 話は毎日してるし」 「じゃあ、噂なんか聞いてねえのか?」 「なにが?」 すぐにぴんとくるものがなく問い返した。貴史は口端にバーをくわえた。 「まあ聞いてねえんならいいんだ」 一度区切った後、また聞いてきた。 「お前はもう、美里に未練、ねえの?」 「なんだよいきなり」 これも何度か繰り返された質問だった。無理にくっつけようとはしない、と貴史は卒業式の後手紙に書いてよこしたけれども、やはり守られないようだった。ただ、今の上総はあまり気にもならない。無理に返事をしなくても、三人の関係は崩れない自信が形作られていた。 「俺は今が、一番楽だから」 「楽、なあ」 ひとりごちた。貴史はバーを指先でくるくるまわした。 「お前は楽かもしれねえけどな、美里は」 「清坂氏ならたぶん俺よりも別の」 言いかけた。卑屈になってしまいそうな言葉を口走りそうになる。 「ちょい待て、お前より別のってなんだ?」 バーを手のひらに隠し、貴史が上総をじっと見据えた。ぷつと、空気が切れたようだ。 「そういう付き合いしたい奴がいると思うよ」 しかたなく最後まで言い切った。そう思ったことは事実、個人名は出していない。 「誰だよ相手は」 知らないのだろうか。あれだけおおっぴらになっているというのに。天羽たちも知っているはずなのに。幼なじみの新しい恋心を見抜いていないとは、正直、信じ難い。 改めて貴史の表情を伺った。妙に真面目だ。貴史が堅い表情を見せる時は、一発張り倒されるか怒鳴られるかのどちらかだった。そんな表情が何故浮かぶのか? 念のため、聞いてみる。 「羽飛、まさか知らないなんてことないよな」 「だから言ったろ! 噂だけ一人歩きしてるんだ」 「どんな噂がだ?」 「美里が男漁りしてるっていう、アホすぎる噂がだよ。学校内だけなら笑えるけどな、いくらなんでも美里の母ちゃんにそういう話告げ口されたら、そりゃあまずいわな」 ──清坂氏が男漁りしている? なんだろうそれ。そんな噂は聞いたことない。 いくら上総が野に下りたとはいえ、そんなえげつない噂ならばもっと早く広まるはずだ。 「もっと詳しく教えてくれないか」 上総もこれは、真面目に向きあって話をしたい内容だった。 「やっぱり気になるだろ、簡単に説明するぞ、いいか」 もし上総ならば周囲を見渡して様子を伺ってから語るのだが、貴史は全く気にしない。さすがに大音量で語ることはしなかったが、一目を忍ぶ気はさらさらなさそうだった。 「美里がB組の女子連中とうまく行ってねえことは、お前も知ってるだろ? どうやら評議委員選挙バトルに負けたことがきっかけだったらしいんだが、どうも美里にはあの教室内に居場所がないようなんだ。だから俺たちC組に長居してねばってる」 「それはわかるな」 「代わりに入った規律委員も、朝の遅刻者つるし上げ当番しかやることねえみたいだし、そうとうストレスが溜まっているだろうとは、思う。んで、相棒規律委員の東堂ともこの前、例の彼女のことで口出ししちまってあいつを怒らせちまった始末だし。とにかく美里、今踏んだり蹴ったりなんだ」 比較的男子とは仲良くやっていたはずなのに、なぜ東堂ともめたのだろう。聞いていない。 「あいつもやめときゃよかったのになあ。よけいなおせっかいだよな。いくら東堂の彼女がばりばりのアウトローだとしても、それはあいつの趣味だろ? 口出すことじゃあねえよ」 例の桜田さんという後輩女子のことだ。ついでに、杉本梨南の現在一番の友だちでもある。 「美里の奴、親切のつもりなのかもしれんけどな、東堂を捕まえて説教したらしいんだ。あのまま不良のまんまだと、周囲が迷惑するんだからなんとかしなさいってな。余計なお世話だよなあ。俺もそう思うぞ。ぶん殴られても文句は言えないわな」 「そんなこと言ったのか……」 もっともだ、それは怒られても文句言えない。頷いた。 「まあ、東堂もぶん殴りはしなかったが、かなりぶち切れてな」 貴史は溜息をつきつつ、手の平をバーでつついた。 「それまではB組の女子連中がいろいろ嫌がらせするのを押さえるよう、それなりに気を遣ってたようなんだが、その一件がきっかけで東堂の奴、仲間連中に言いたい放題言いやがったんだな。自然と連鎖反応で美里に対する悪印象ひろがりまくり。結局美里の居場所はB組の男子女子どちらにもなくなっちまったってわけだ」 ──そんなすごいことになっていたのか? 気付かなかった。上総が勘付いていたことはひとつだけ。関崎乙彦への片想いだけ。 「叩けば埃もうもうの過去、美里をふくめ俺たちどっさりあるからなあ。女子連中の悪口だけならまだしも、男子連中の本音トークもすべて流れ出しちまって、そこから一方的に美里の酷い噂が広がり始めたってわけなんだ」 「どういう内容なんだろう」 「修学旅行で男子と一発やらかしたとか、なあ。しかもその相手が立村ならまだしも、別の男子らしいとか、先生がたに色目使ったとか、他の中学の奴らと色仕掛けしたとか、ありとあらゆる話題が溢れかえっちまってて、もう、大変だわ。最後にその噂をな、ご丁寧にも知らせてくださるB組生徒のどこぞの親御さまがいらして、今もう、美里の母ちゃん仰天。俺の母ちゃん通して、美里を見張るようにただいま指示が出ているつうわけなんだ」 すねに傷のあるわが身ゆえに何も言えない。「一発」はやらかしていないが、多少心の奥にある罪悪感がむらむらする。確かに美里とは、修学旅行最終日の夜、いわゆる「一夜を共にした」経験はある。単に文字通り、一夜を過ごしただけでありそれ以上何もない。ないが、やましい気持ちを感じなかったわけではない。しかし、それがばれているというのが信じられない。あれだけ人に見られないよう、ばれないように注意を払ったというのに。知っているのは貴史、美里、こずえ、そして南雲だけのはずだ。 「あのさ、羽飛。清坂氏は東堂にどんなこと言って怒らせたんだろう? それが気になる」 「まあな、あいつの性格上、間違ったことは許せないってのはあるだろうなあ」 次に飛び出した貴史の説明に、上総は息を飲み込んだ。 「ほら、お前知ってるだろ、この前中学の修学旅行があって、そこでねしょんべんしちまってふとん押入れに押し込んでとんずらした女子がいて、学校側ではただいま犯人探しやってるって話。ふたり犯人候補がいて、そのうちのひとりが東堂の彼女と親友らしいんだ。お前も知っての通り、東堂の彼女は札付きだから一緒にいられるとどうしても、一緒にいる奴は色眼鏡で見られてしまうって言うんだ。どうも美里の奴、犯人候補の一人が疑われた理由のひとつとして、東堂の彼女と友だちだったってのが一番の理由だと思い込んじまって、すげえ文句言ったらしいんだよな。後輩いじめはしない奴だが、一方的にかばうってのも、俺は先輩としてちょいとまずいと思うぞ」 貴史はそこまで一気にしゃべり、最後の結論に持っていこうとしていた。 「だから俺が思うに、美里をまずは東堂に謝らせるのが先決かと思うんだよなあ」 これ以上上総は聞いていなかった。 ──やはり、その事件は起きていたんだ。 ずっと、頭の中から消そうとしていた出来事。 美里が懸命にかばっていた「修学旅行おねしょ事件」の犯人候補である女子。 東堂の彼女が親友づきあいしているその女子。 繋がっていく。 三時間近く前に天羽たちから聞いた噂は、やはり事実だった。 ──杉本、いったいどうして。 今まで感じたことのない奇妙な感情が身体を駆け巡っていた。つい最近会ったばかりの杉本は一切、引け目も感じさせず、日々堂々と背を伸ばして歩いていた。修学旅行でよりによって世界地図を描いてしまうような失敗をしてしまった女子には見えなかった。 でも、ここまで噂が広がっているということは、恐らく出来事そのものは事実なのだろう。 ──清坂氏がかばおうとしたのは、きっと杉本だ。杉本を守ろうとしたんだ。フォローしきれない失敗をしてしまった杉本を助けようとしてくれたんだ。杉本のことでは俺が、清坂氏の気持ちをさんざん逆撫でしてしまったことを、許してくれたんだ。 つきあう、つきあわないの二者選択だけで片付けたくないその気持ちに、なんと名前をつければいいのだろう。友情だけではありふれていて、愛情では色が濃すぎる。ただやすらいだその空気をくれる、大切な女子の友だち。 ──そんな彼女に、俺は何ができる? 何かをしなくてはならない。 美里のために。 決めるより先に口が勝手に動いていた。 「わかった、東堂に一度話を聞いてみるよ」 きっぱり約束した。 貴史はぽかんとして手元のバーを取り落とした。わかりやす過ぎる驚きだった。 「お前、あいつと話すのか?」 「東堂にもいろいろと思うところがあったと思うしさ。けど清坂氏もただ謝るのはいやだろうな。まず、事情を確認して、清坂氏にも東堂にも一番よい形で解決できるかどうか、やってみるよ」 貴史には聞かれたら話すつもりでいた。 ──たぶん、清坂氏のつきあいたい相手は、A組の関崎だと思う。 ──関崎はたぶん、B組評議の静内さんと付き合いたがっている。 ──関崎はいい奴だから、いい友だちづきあいできるようになんとかしたい。 ──羽飛は、清坂氏が関崎にこまめなアプローチをしているのを、本当に知らないのか? あんなに近くにいるのに? 貴史が美里の話をする際に見せる生真面目な表情をどう受け止めていいか、今の上総にはわからなかった。少なくとも、今は伝えられそうにない。 # by maiyoru | 2009-02-23 01:25
天羽が後期評議委員長だったこともあり、C組の評議は自動的に指名されるものだとみな思っていたらしい。しかし学校側では、内部生入学が決定した段階で、一方的に委員選出の際に裏工作を行っていたようだ。英語科の評議委員が、すでに藤沖と古川こずえのふたりに決定していたのも上総は知っている。とにかく評議委員だけでも教師の息の掛かった面子にしておけば、あとはいくらでも調節ができる。 もっとも、関崎が外部生にも関わらず規律委員に選ばれたのは、あいつのパワフルな根性だけではない。後ろ盾として藤沖がついていたこともあるだろう。確認したわけではないのだが、入学前から関崎の手伝い係として藤沖が指名されていたことも事実らしい。学校側では、交流会を通じて上総が付き合いを持っていたことくらい気付いていてもおかしくないはずなのに、だ。一切上総の存在は無視された。 ──委員会最優先主義を排他し、その代わりに優秀な外部生をカンフル剤として活用。 もちろんその意味は理解できなくもない。しかし、あまりにも露骨だ。 完璧骨抜きの教師ご用期間と成り下がった委員会活動。 評議委員会に関してはそれほどでもないと聞いているが、他の委員会は三人が語るようにほとんど時間つぶしの世界らしい。退屈だろう。とは思う。 「だからだ、俺はあえてこの、すかすか状態の委員会をとことん利用させてもらい、内部生の底力を見せてやりたいってのが、今回の趣旨だ」 天羽は繰り返した。 「内部生だから苦労知らずだと? 内部生だから楽してるだと? ふざけるなって言いたいだろ? 悪いが俺たちもそれぞれ、青大附中時代いかに戦いを繰り広げてきたのか、よくよくわかるだろう? 難波、そういやあ、キリコはどうしてる?」 言葉に詰まったようだが、あえてポーカーフェイスで交わす難波。 「相変わらずだ」 「そうか、生きてるな」 天羽は即、更科に振った。 「都築先生の件、ばれてないだろ」 「ありがたいことに」 短くもにこやかに更科は答える。一体何があったんだろう。 「そして立村」 覚悟はしている。何が飛んでくるか。 「お前、関崎はいい奴なのかもしれんが、いつかはお前を食いつぶすぞ。宿泊研修のジョギング事件もそうだが、あの暑苦しいほどの情熱でいつか溶かされるぞ。南極の氷が溶けちまったら地球がひでえことになるって、地学でも習っただろ」 「洪水、だな」 「そ、大洪水で飲み込まれちまう。麻生先生の考えでは、お前を一切無視して、関崎と藤沖のふたりを引き立てる形を取りたいらしい。そんなことされちまったらどうする? お前は単なる自動翻訳機になっちまってそれで終わるわけだぞ。それでいいのか?」 「いいよ、そんなの」 適当に流した。 「トドさんの一件がいい例だ。俺たちもトドさんの生活苦は承知していたからな。粗大ゴミコーナーに本雑誌が出ていたら、即連絡を入れて古本屋で稼げるようにしていたんだしな。ところが、あいつのせいで」 「正義感だけで決め付けられたらたまったもんじゃない」 轟琴音が関崎の告げ口により、決まりかけた奨学生の座も奪われたというのが定説だ。 古本をゴミ置き場から持ち出し、それを古本屋に売って、いくばくかの小遣いを手に入れるという方法がよいのか悪いのか、その判断は難しい。 「たかがそのくらいで奨学生を取り消されるってのは俺もどうかと思うぞ」 難波も手に拳固を押し付けながら呟いた。 「なんでも、そういうみみっちいことをするのに嫌悪感を感じる先生連中がいたという話と聞いたがなあ。正々堂々と、きちんと、合法的に。ああ、そうだな、合法的にだな。だが実際金がない場合、どうすりゃいいんだよなあ」 「轟さんは今、どうやってお金を稼いでいるんだ?」 上総が尋ねると、即、返事が返ってきた。天羽と難波だった。 「学校内のネットワークを使って、古い教科書の斡旋をし、その手数料を稼いでいる。あまった奴は俺たちが古本屋に持っていって売る。俺たちは面が割れてねえから、大丈夫だ」 「まだトドさんも、シマを変えていろいろとゴミをあさる努力はしているようだ。まさかな、関崎が見張ってるとは思わなかったらしいんで、別の古本屋を開拓している」 ──すごい。 外部生がいくら正義を振りかざしたところで、みな、裏ではやりたいことをやっている。 「具体的には何をするつもりなんだ」 上総が一番知りたいのは、その方法だった。天羽がすぐに答えた。 「まず、後期の委員会活動でどの分野に回されても即、役付きを目指す。やはりな、役付きになると身動きしやすいからな」 「どの委員会でもか」 「そういうこと。どうやら学校側としては、同じ委員に三年間部活動感覚で携わるのをやめていただきたいらしいんでな。その後は、できれば生徒会にもぐりこむか何かしたいんだがな」 「生徒会?」 「完璧ご用期間になっちまうことを考えるとそれはまたあとで考える」 なんだ、まだ具体的にことは決まっていないのか。 「とにかく俺たちが言いたいのは、『外部生ばかりひいきするんじゃねえ!』の一言だ。俺たちにしてみれば、もちろんあいつらの力量がすごいのは否定しない。だが、俺たちがやってきたことをすべて否定した後で、どんどん体制側に近づけていくような管理を行うってのはなんか、間違ってると思うんだ。本来なら、青大附中時代のように、完璧自主性を保った形での委員会があってしかるべきだってのに、完全に今は、やる気のない連中と教師の言うことをそのまんま鵜呑みにするいい子ちゃんばかり。あとはやりたいことをこっそりやる奴ら。それでいいと思うか? 俺だけじゃねえ、他にも同じことを考えている奴はどっさりいると思う」 「いたとしても、声は出せない状態だな」 難波は頷いた。引き継いで続けた。 「今の『外部生人気』を応援しているのは、皮肉にも女子連中だ。俺たち男子が今まで苦労してきたことを、この代の女子たちは大して評価しようとしないのはどういうことだ。女子連中が外部生を応援しだしてから、男子たちの間でも不満は高まっているはずだ」 「一言言わせてくれ」 どうしてもがまんできなくなり、上総は自分なりに感じたことを伝えた。 「外部生、というよりも、関崎、だろう」 一同黙り込んだ。 天羽たちが過剰に反応しているのは、外部生というよりも、関崎乙彦に対してだけだ。 「立村、何、言いたい?」 「俺の知る限り、外部生といっても目立っているのは関崎だけであって、あとはあまりいてもいなくても変わらない存在のように感じている。もちろん天羽の言うように、内部生を無視する学校側には腹も立つが、無理に外部生を攻め立てる必要はないんじゃないか。それぞれやりたいことがあるだろうしさ」 「今はまだいいぞ、立村。だがこれから先」 「何があるっていう?」 上総が問い返すと、難波はためらいながら天羽と更科の顔を見た。 「言っちゃえよ」 「言っちまえよ」 ふたりに押される形で難波が答えた。 「もしもだ、関崎と清坂が付き合っちまったら、お前の立場どうするんだ?」 ──やはり気付いているのか。 こいつら三人が心配しているのは、上総が傷つくかどうかという問題ではない。 ──かつての恋人が外部生の彼氏をこしらえた場合、さらに立場が悪化する。 内部生を見下されるきっかけをつくる、その恐れだろう。 「別にそれは気にしないよ」 あっさり答えるのが一番よい。三人の生真面目な瞳に恐れず答える。 「俺には最初から立場なんてない。委員になる気なんてないし。とりあえずは何事もなく無事に三年間が終わればいいと思っている。友だちと仲良くやっていければそれ以上望まない」 「はあ? 立村、本気でそんなこと言ってるのか?」 天羽が口を細長く開けて尋ねてきた。 「本気だけど」 「前からお前に何度も言ってるが、このままだと立村、A組のやっかいもの扱いされて終わっちまうだろう? お前には人間自動翻訳機の能力があるからまあ無視はされないだろうがな、外部の奴らに馬鹿にされて、女子たちには軽く見られて、最愛の清坂ちゃんまで取られてさあ」 「取られたと思ったことないけどな」 あっさり返す。天羽はもちろん納得いかぬ顔のままだ。 「立村、お前はまだ気付いちゃいないな。清坂ちゃんが今までお前のハニーだったからこそ、だいぶ救われてきたとこあったんじゃないのか。今もまあ、別れたといえばそうだがな、お互いフリーだからこそ、まだまだみな一目置いてくれてるんじゃないか? 人間関係崩壊させずに友だちづきあい出来ているからこそな。それがこれから先、関崎といちゃつかれてみろ。どうするんだあ?」 「どうも、しないけど」 いらいらしてくる。天羽たちにもそうだが、だんだん美里に対して苛立ちすら感じてくる。もちろん上総は早い段階から、美里の心が関崎に向いてきているのを見て取っていた。それを責める気なんて全くなかったし、むしろお互いそれがいいのかもしれないとさえ思った。関崎は暑苦しいところもあるが、基本としていい奴だ。もしも何かの協力が必要なら、喜んで手を差し伸べるのもよいだろう。だが、今の段階でそれを求めるのは危険だろう。関崎が今だに恋愛感情らしきものを美里に感じていないのは明白。しかも「外部三人組」の一員であるB組の女子・静内菜種と関崎とはかなり熱々の関係と噂されている。そういう段階で、なぜ想いをこうも露わにするのだろう。ただでさえ上総の元彼女という汚点が残っているというのに、明らかに美里の立場は不利だ。 ──今の段階では絶対に、隠すべきだろう。 もし上総が、羽飛貴史の立場だったとしたらそう助言したに違いない。 評議委員チームにばればれの態度を取っている美里には、貴史に忠告させることが必要に思う。 「単刀直入に言おう。立村、よりを戻す気ないのか?」 今度は難波だ。いらだちを隠さずに上総も答えた。 「ない。友だちでどこが悪い?」 「まさかと思うんだけど、立村?」 今までにこにこしていただけの更科が、放った。 「あの、修学旅行でおねしょしちゃった子のことが、まだ好きなんだ?」 ──何言ってるんだ? 更科? 呆気に取られて口が開いたままふさがらない。いや、口を開けるもなにも、言われた意味が把握できなかった。てっきり更科の奴、杉本梨南のことを突っ込んできたのかと身構えて、答えすら用意していたというのに。「そういう恋愛感情だけで人間関係を決め付けるな!」と怒鳴ってやるつもりだったのに。 「誰だそれ、俺の知っている女子か?」 「当たり前だろう? なあ、難波?」 難波に更科が、また子犬の笑顔を振り向けた。無表情のまま流そうとする難波に、天羽がいきなり、 「まあまあまあ」 と割って入ってきた。 「更科、お前ちょっとそれ、やばいネタだろが」 「ごめん、まずかった?」 「当たり前だろう!」 びしっと叱るそぶりを見せる天羽。しかし上総にはまだ、言われた意味が不明だ。いったいなんだろうかその、「修学旅行でおねしょしちゃった子」とかいうのは。第一、一年前の修学旅行ではいわゆる、布団に地図を描いた女子の存在なんて聞いたこともない。 「立村、お前、中学の話聞いてないのか?」 天羽は打って変わって小声で尋ね、身をかがめた。それにつられるように難波と更科も同じ格好をした。 「聞いてない。少なくとも今更科が誰を指したのかわからない」 頭の中がフル稼働している。いや、もしかして……いや、ありえない。答えが出てきそうで出てこない。 「じゃあ、今年の中学修学旅行で起こった出来事、何も聞いてないのか?」 「杉本に聞いたら、全く問題なかったと話していたが」 なぜか自分の口調が、杉本に触れるところだけかちんと響いた。自分でもそれがわかった。 「それはいつだ」 「修学旅行が終わってからすぐだ」 更科が今度は、難波と顔を見合わせ肩を竦めた。気取ったホームズ難波はポーカーフェイスのまま。嫌な予感がする。天羽の言葉は続いた。 「立村、杉本以外の女子から、何も聞いてないのか」 「俺が中学で用事あるのは、今のところ杉本だけだ」 断言した。そのつもりだった。 天羽たち三人が大きな溜息を吐いたのはその後だった。 「もう、打つ手はないのかよ……こいつ」 「俺たち元評議チームがこんなに考えてるってのに」 「もう少し選びようがあるよね」 上総が言い返す前に、天羽は首を振り、大袈裟に頭を抱えた。 「あのなあ、立村。中学修学旅行三週間経って、今何が起きているかなにも知らないのかよ。まさか、杉本の報告以外何も聞いてないなんて、言わないだろうなあ?」 「ないよ。中学のことなんて、もう役なしの俺には関係ない」 ──杉本に関係がなければ、だが。 杉本がこれから先、佐賀はるみをはじめとする生徒会グループに嫌がらせをされたとか、桜田さんという不良女子の悪影響を受けているとか、そういう事情については調べたい気持ちもある。しかしもう、それ以外の情報は切り捨てて構わない。高校と中学をつなぐ鎹は杉本と狩野先生だけだ。後は何も用がない。 「念のため、確認するが、その修学旅行の際になにかをしたというのは、まさか杉本のことを指しているのか?」 ありえない。更科に向かい、詰問した。真正面から見つめるとすぐ更科は目を逸らした。また難波と「どうする?」と確認し合っている。天羽は腕を組み、毛深い二の腕を掻き毟った後、ふたりに手を伏せる合図をした。黙れ、との指示だろう。 「お前のクラスには下ネタ女王様いるだろ? 古川にまず聞け。あいつなら知っている」 「天羽が答えられないようなことには思えないが」 首を振った天羽。立ち上がった。 「俺たちもお年頃なんでね。修学旅行中、女子が布団で世界地図なんて話、できるわけないだろが」 「どういうことだよ、それ、まさか杉本が?」 「あとは自分で確認しろ。その後で考えろ!」 難波が吐き捨てるように言い放った。 更科も同じく呟いた。 「あそこまで噂が広がっているのになんで立村、気付かないんだろうなあ。ほんとに、杉本の言い分しか聞いてなかったのかなあ。このままだと、おねしょした女子と付き合うことになっちゃうのに、大変だよ」 もうこれ以上話をすることはなかった。上総は立ち上がった。時計はそろそろ五時十五分前。大学校舎に入ったほうがいい時間だ。 「悪い、先に行く。天羽、さっきの件についてはきちんと話をしよう」 喉から上だけ活動しているようだ。その下は完全に石と化している感覚がある。 「ああ、連絡よこせよ」 背を向けたとたん、三人がまた固まってわやくちゃ語り合おうとする気配を感じた。そんなの知るか。上総は一度ぎゅっと目を閉じて呼吸を整えた。 ──杉本は、やはり、何かをしてしまったのか! 杉本梨南は、修学旅行で何が起こったか、今まで何も言わなかった。 上総も全く、修学旅行の話など、他の連中からは聞こうとしなかった。 ──なんで気付かなかったんだ、俺は! 高校の連中が知っているような大事件を、何も気付かずにいた自分。どこで天羽たちが情報を得たのかは聞きそびれた。古川こずえが知っているらしいということは、もうかなり広まっているのだろう。 なのになぜ、上総だけが取り残されたのか。 学食を出ると、広がる大学校舎の向こうに色濃い夕陽が落ちていた。高校方面を眺め遣るとサッカー部と野球部が元気に試合形式の練習を行っていた。掛け声なく、球の打たれる音が響き渡った。 学校で起こったとんでもない事件を知らずに三週間も過ごしたことは、評議委員時代一度もなかった。委員会にも、生徒会にも参加しないとは、つまり、こういうことだ。 ──「野に下りた」ということなんだ。 # by maiyoru | 2009-02-22 00:24
4 その1
同じ附属といっても、青大附属中学と高校とでは委員会活動の盛り上がり方が雲泥の差だ。 ──本条先輩がなぜ、青大附高に進学しなかったのか? さまざまな事情は知っているけれども、一番の理由はその辺にあるうんじゃないだろうか。上総は入学してからつくづく思った。もちろん最初から委員会活動に参加するつもりはさらさらなかったし、高校入学以前の段階で大学講義を少し多めに受講するよう指示を受けていたりもしたので、自分自身は気にならない。ならないのだが、しかし。 ──これなら、天羽たちも面白くないだろうな。 「立村、どした」 羽飛貴史のいるC組を訪問し、挨拶代わりにトランプへお付き合いし、その後大学の講義に向かうつもりでいた。思ったよりも大学の講義数は多く、はっきり言って委員会活動に参加していたらたぶんぶっ倒れるだろう。部活動……特に体育系……は絶対無理だ。良好な人間関係を保ちたい気持ちはおおいにあるのだが、いかんせん時間が思ったよりもない。結局、休み時間と放課後のかなり遅い時間帯を狙って話をするしかない。 貴史が白のポロシャツ姿で現れた。六月以降、運動部の生徒に限って放課後、ポロシャツ着用が許されている。シャツではもう、動きづらいったらありゃしないのだ。 「これから部活か」 「まあなあ、出ねばな」 髪の毛はだいぶ伸びたようだ。中学卒業式前にある程度髪型を整えていたが、高校に入るやいなやもうやりたい放題。制服は違反にならない程度にいいかげんな着くずし方だし、ネクタイはいつのまにか緩んでいる……意識的ではないが、結び目が解けていることもある……し、シャツはウエストから出しっぱなし。不良っぽくはないのだが、いいかげんではある。 「お前も、これから大学か?」 「うん、英文学史の授業があるから、六時半まではいるけど、今はまだ四時限目だから時間はあるよ」 わけのわかりにくい説明になってしまう。顔をしかめる貴史に追加説明をする。 「大学の授業は五時から始まるから、終わるのがだいたい六時半くらいってことだけど」 「今は四時前だから、一時間くらい余裕ありってことな」 飲み込んでくれたらしく、腕時計を覗き込んだ。中学と同じ形のもので、黒いベルトだけ新調したらしい。艶がてかてか光っている。 「もし少し早めに終わったら、体育館に寄れよ。なんか食って帰ろう」 先回りされたのが照れくさいが、上総は頷いた。こちらから話を持ちかけるまでもなく、羽飛貴史はすぐに飲み込んでくれる。三年間の蓄積が、ここにある。 まだ一時間余裕があるということもあり、まずはC組で時間をつぶそうと思っていた。残っているのは天羽と難波、そして更科の三名だ。他のC組連中もそれなりにたむろってはいるのだが、それぞれ部活動なりなんなりに消えていく。南雲は放課後バイトだと聞いているので最初から数には入っていない。 「立村、悪いけどな、ちょいと付き合ってもらえないかねえ」 相変わらず脳天気な口調で天羽忠文が上総を手招きした。最近は少々女っぽいしゃべりをすることが多いのだが、あまり女子たちからの受けはよくなさそうだ。もともと天羽は、中学三年のさまざまな出来事をきっかけに、大幅な株の下落を経験しているはずだ。そのことは気にしていないらしい。 「トランプやるのか」 「うんにゃ、ちょいとな、元評議同士の密会なんてどうっすか」 なあ、と難波、そして更科に頷いてみせる。難波は相変わらず黒いめがねをかけたまま、腕組みして頷いている。高校に入り三ヶ月ほどの間に、なぜか難波の背がぐんと伸びているのに気がついていた。決して中学の頃は、上総と殆ど背丈が変わらなかったのにだ。更科を除くと今のところ、上総はちびの部類に入ってしまう。難波は茶色の自前手帳を開きながら、何かを書き込むふりをしている。相変わらずのシャーロック・ホームズ気取りのつもりなのだろう。内面は変わっていないと思いたい。 「いいっすねえ、旦那」 脳天気な返事は更科だ。こいつの事情も中学時代から聞き知ってはいたが、高校に入ってからはかなりおおっぴらとなりつつある。こうやって子犬のごとくじゃれついているように見えるが、実は年上キラーの禁断の恋真っ最中なんてことは、口が裂けても言えない。男子同士でも滅多に口には出せない秘密。本当に中学養護教諭だった都築先生との関係が続いているのか、気になるところでもある。 「立村も、ちょいと付き合ってもらえないっすかねえ」 「かまわないよ。でも五時少し前には大学についていたいんだ」 「じゃあ、学食がベストだな」 難波が手を打ち机から立ち上がった。さっさと出て行こうとする。天羽がどっこらしょと腰をあげ、その後からちょこまかと更科がくっついていく。締めが上総となるらしい。この日は雨が降っているせいか、廊下には細かな泥の後があちらこちらに残っていた。 中学時代と同じようにジュースと菓子パンをそれぞれ用意し、まずは食べ始める。 みな必死に口へ押し込むのが、はたから観ていて面白かった。 「立村だけなんでそう上品に食うわけなんだ?」 難波につっこまれた。 「いや、上品も何も」 考えていないつもりなのだが、やはり目立つようだ。 「おぼっちゃまは辛いねえ」 さらりと一言、天羽はパンの端っこを一気にジュースで喉に流し込んだ。 「実はだ諸君、本日集まっていただいたのにはわけがある」 「だろうとは思っていた」 上総が答えると、満足げに天羽は頷いた。相変わらずの気取った口調なのだが、難波がホームズなのに対して天羽は怪盗ルパンだろう。きざでロマンチスト。上総からすると天羽も難波も、結局やることは愛に生きることだけじゃないかと思える。 「本当はトドさんも呼び出すつもりだったんだが、いかんせん彼女は評議だ」 「確かにな」 相槌を打つ難波。ずいぶんこいつも性格が丸くなったものだ。 「正式声明を出すことにする」 「あまりもったいぶるな」 時間制限のある上総は少々せかす。 「青大附高の委員会活動復興に備えて、勇士たちよ、立ち上がる時がきたのだよ、諸君」 さらにもったいぶる口調で天羽は続けた。爪楊枝を葉巻に見立ててくゆらせる仕種。 ──とうとう決断したのか。 難波と更科はふたり、水の入ったコップを持ち上げ、何も言わずにこぶしを振り上げる仕種をした。上総はぼんやりと、気合の入った天羽の言葉を聞いていた。 こうなることは、時間の問題だったのだから。 C組に元評議委員出身者が固められ、かつ規律委員長だった南雲、そして今までさんざん評議委員かバスケ部所属を薦められていた貴史が放りこまれたクラス構成。これを見た段階で、高校の教師側が何をもくろんでいるのかだいたい読めていた。少なくとも委員会経験者の殆どは、このクラス分けが「過去の栄光をすべて白紙に戻す」ことを意味していると判断するだろう。 さらに、B組へよりによって、美里をひとり引き離すというのも思惑が見え見えだ。 羽飛貴史と清坂美里、このふたりの関係を知るからこそだろう。 しかも美里のクラス女子に関して言えば、ほとんどが元三年C組出身者だ。 美里とはどうも、肌の合わなかった女子たちの集まりとは、いろいろな場面で目にしている。唯一仲良しだった評議仲間の霧島ゆいも今は他の高校に進学している。味方はいないに等しいわけだ。 もともと女子とは、古川こずえなどの一部を除いて、あまり受けのよろしくなかった美里だ。言いたいことを何でも言い放つ一方で、男子たちとも比較的仲良く、なによりも「クラスのヒーロー」たる貴史と大親友だというこの事実が、女子たちから総すかんを買ったのだろう。上総の見る限り、今までは極端な嫌がらせなどなかったはずだが、その理由ははっきりしている。クラスの昼行灯で、かつ実力ないくせに評議委員長に任命されてしまった立村上総の彼女だったからだ。周囲の蔑視がそれなりにあったから、見逃されていたに違いない。 しかし、今は上総とも、単なる友だちに戻り、あとはレベルの高い男子を選び放題の時期。しかもこの三ヶ月でターゲットはひとりに絞られていて、相手がいかにも、だ。 女子たちの反応が芳しくないのは、分析しなくてもわかる。 ──仮に評議委員を別々のクラスに配置した場合、よほどのことがない限り自動選出される確率が高い。それを避けたいという意向なんだろう。 英語科だけはクラス分けの範疇にないのでどうしようもないが、学校側としてはあまり心配していなかったに違いない。元評議委員長の立村上総がいたとしても、元生徒会長の藤沖が入っていれば特に問題なし。さらに。 「俺たちがなぜ、こうも軽く扱われねばならんのか! みな、その点はよくご存知だな」 天羽の口調は相変わらず熱い。 「まあな」 短く、難波が答える。 「俺たちが今まで積み重ねてきた、評議委員会の経験をもなぜ、こうもあっさりと切り捨てられねばならんのだ!」 「体育委員というのがなんだかなあ」 音楽委員になぜか回されてしまった難波が茶々を入れる。天羽は無視した。更科がアピールする。 「美化委員もまずくはないけどね。楽だし、掃除するだけだしね」 後期評議委員長を務めた天羽は当然、C組においても評議委員の座を狙っていたようだ。口には出さなくとも意志は持っていたに違いない。同時に難波、更科も心の奥になんらかの気持ちはあったのだろう。 ──だが、羽飛が入ったなら話は別だ。 委員会に一切関わったことのない……上総が放棄した三学期後半は別としても……貴史が、なぜか評議委員に選出されたのか、本人の口からは詳しいことを聞き出していない。ただ、受ける以上はそれなりの覚悟もしていたようだ。貴史の性格上、敵を恐れることもなさそうだし、もともと天羽たちとは友だち付き合いもしている。気の合わない南雲を除けばほぼ、良好な人間関係を保っているといえるだろう。当然、教師たちからの受けも悪くない。バスケ部と美術部を兼部することにしたのも、プラス要因だったのだろう。 「南雲がいる以上、規律ももぐりこめないと」 「それは、犯してはいけないルールだよ」 更科が頷いた。少なくともC組の連中内には、もともと立候補するつもりの委員に無理やり足を突っ込むのはご法度だという価値観が培われている。 「まかりまちがっても、外部生がいきなり立候補するもんじゃない」 「個人の自由だからなあ、そればかりは」 ──とか言いながら、やはり不愉快なんだろう。 上総も天羽たちの気持ちがわからないわけではない。だから黙って聞いていた。 ──せめて、委員連中が内部生でまとまってくれていれば、すべてが丸く収まったはずなんだ。 関崎さえいなければ。 上総の知る限り、天羽、難波、更科三人とも、決して他を排するタイプの男子ではない。むしろ、違った個性を喜んで受け止め、なんとか友情を培おうと考える、きわめて心の広い奴らだったはずだ。上総のようないじけた性格の奴を、曲りなりにも受け止めてくれた場所はどこよりも評議委員会、ここに他ならない。本条先輩の庇護があったとはいえ、同学年でとりあえず無事に、前期だけにしろ評議委員長に選んでもらえたことがすべてを表している。 そういう奴らだったのに、だ。 ──何でいきなり、内向きの価値観を持ちはじめたんだろう。 この三ヶ月間で、上総にはだいたい見えてきている。 ──関崎登場につき、附属上がりの奴らが危機感を感じているんだ。 交流会を通じて関崎の性格はだいたい理解していたはずなのだが、青大附高でここまで活躍するとは、誰も思っていなかったのだろう。上総も想像していなかった。 さらに、迎え入れる立場である教師たちの態度が、外部生最優先の方向を向いている。 露骨に附属時代の蓄積したものを否定されるのも、そう珍しくはない。 「言っとくが、俺は決して羽飛から後期、評議委員の座を奪いたいなどとは思っていないから安心しろ、立村。でなければお前をここに呼んだりしない」 ──そうだな、それは言えてる。 天羽の野心が不安なところもあっただけに、少し安心した。 「ついでに、附高でいきなり評議委員会を乗っ取ることも考えちゃあいない」 「違うのか?」 難波が不思議そうに問い掛けた。めがねを指先で直した。 「そんなことしちゃあ、ああた、即刻俺たち袋のねずみっしょーが!」 次の天羽の言葉を待つ一同。 「つまりだな、諸君。今のポジションをもう一度考えてみるとするよ。俺はC組体育委員、難波は音楽委員、更科が美化委員、そして立村が……」 「どうせ俺は何にも関わっていないからな」 言われる前に宣言しておく。 「みな、それぞれ、ばらばらってことよ、諸君。かつては評議委員会を舞台に隠れ演劇部として活躍し、みなの喝采を浴びていた俺たちがだ、このままくすぶっててよいと思うか?」 ずいぶん天羽も強気である。 「ビデオ演劇はもうやりたくないよ」 上総なりに一言突っ込んでおく。 「そういう、内輪受けはもうせんでよろしいの、立村ちゃん。もう高校生だろ、俺たち大人だろ? ならやることはもうちっと、大人の感覚でよろしいんでないの?」 「大人の感覚ってなに?」 更科が相変わらずの子犬笑顔で質問する。このあどけない表情の裏で愛欲の日々が繰り広げられているなんて誰も思わないだろう。上総もまだ、更科の本性を理解していないような気がしている。見た目子どもで、内面大人。 「せっかくだ、俺たちのフィールドでもって、まずは足元から変えて行こうじゃないの。いわゆる内部生の革命ってとこよ」 ジュースと水を半々に飲む天羽。 「ご存知の通り、青大附高の委員会活動は現在、結城先輩が元締めとなる形で動いているがいかんせん去勢されてる状態だってことは、一年坊主の俺たちにもわかる」 「ちょんぎられてるってわけか」 冷静に難波が呟く。 「そ、玉を抜かれてる。まず俺たち一年はどの委員会においても、全く活動に参加させてもらえない。体育委員もそうだ。俺がやってることったら、球技大会のボール整理とか、グラウンドの線引きとか、時計を貴重品箱に突っ込んで先生に預けるとか、その程度だ。もちろん二年以降は少しずつ変わってくるんだろうが、活動の拠点ほとんどはクラス内の業務ばかりというのは、先が見えてるだろ」 「そうだな、天羽の言う通りだ」 言いたいことがあるらしく難波が、間髪入れずに続けた。 「音楽委員会も似たようなものだぞ。第一、委員会に出てくる奴がほとんどいない」 「いないってどういうこと?」 更科の問いに難波は答えた。 「ほとんどが音大への進学を目指しているか、もしくは吹奏楽部員か、そのどちらかだ。二年以上はほとんどそうだ。仕事ったって音楽室の掃除と準備室の整理整頓、秋に入れば今度は合唱コンクールの手伝いくらいはあるだろうが、まず暇の一言につきる」 ──暇なんて言葉、青大附中の委員会活動には存在しなかったよな。 「で、美化委員会はどうなんだよ」 更科に上総が今度は問うた。あまり更科の活躍した情報を耳にしない。 「美化委員会は、もうお気楽だよ。規律委員会とタッグ組んで、規則をそのまま守るように話をしなさいとかさ、とにかくお掃除の毎日。あ、でも花の活け方は教わったよ」 「誰にだよ、都築先生にか」 難波の鋭い質問に、更科は満面の笑顔を浮かべた。 「そ、玄関の花をいける担当は俺になっちゃった」 ──玄関って……。 つまりなにか、更科はすでに、都築先生の家に居座っているってことか。 噂には聞いていたが。上総は改めて更科の子犬笑顔をじっくりと見つめることにした。 「ま、そういう状態が三年間続くってのはどんなもんかと、俺も思うわけだ」 脱線しそうになったところを、天羽はすぐに立て直した。そこのところがさすが、後期評議委員長たるところ。 「だが幸い、今のところ何事も起こっちゃあいない。生徒会にも俺なりに探りを入れてみたが、中学時代のようにアグレッシブな日々を送ることはなさそうだし、評議委員会も現在は委員長たる結城先輩の趣味実践の場となっているわけだ。早い話、毎日のようにアイドル研究会化しているということだなあ」 ──相変わらず、「日本少女宮」に嵌っているというわけか。 上総の呟きは心の中のみ。 「本来ならば、上の代に本条先輩がいて、そこでいろいろかちゃまわしてもらえるはずだったんだがいかんせん、それもできない。となると、望みは俺たちのみ。特に俺たちの世代は中学時代、とことん評議でやりたい放題の素晴らしい経験を積んできたわけだ。なあ、立村、俺たちだけだよな、ビデオ演劇やら茶会やら交流会やら企画した世代は!」 「確かにその通りだ」 このあたりは自分でも誇っていいだろう。 「ほとんど教師連中なんぞ当てにせずに、本条先輩たちの下でとことんしごかれてきた俺たちがだ。なんでこのまま、くすぶってなくちゃなんねえのって俺は言いたいんだわよ、な、わかるだろ、難波、更科」 「そうだな、確かにな」 難波は腕組みをし、何度も頷いた。 「うちのクラスだけかもしれないが、あまりにも外部生に対するひいきが酷すぎる」 C組に外部生がいたかどうか思い出してみたが、記憶になかった。 「誰かいたか?」 「俺が言っているのは、外部三人組のことだ」 難波は繰り返した。 「何かがあると『あいつらの懸命な努力を見ろ!』と引き合いに出されることの、多いこと多いことったらないぞ。『外部生は補習をしたり、部活動参加も諦めて必死についていこうとしている。そして少しずつ内部生連中に追いついて来ている。なのに内部生は外部生たちを馬鹿にするような態度をとっている』とかな。俺たちそんなこと、いつした?」 「馴染んでいないのは向こうの方だろってつっこみたくなるよなあ、わかる、わかる」 更科と頷きあう難波。 「もちろん、補習地獄に追われたり、アルバイトをしっかりやったり、いろいろ努力しているのは俺たちもよーくわかるさ、ああ、そうだよなあ。金かかる学校だ、学費を出したい気持ちもわかるぞ。だがな、何も、俺たちの今まで積み重ねてきた血と涙の結晶すら、否定されるってのはどういうことよ? なあ、立村、どう思う?」 「わからなくはないが」 何度も、この三ヶ月ほど繰り返されてきた言葉だった。その通り、なのだ。 # by maiyoru | 2009-02-22 00:23
3
家に戻り、まずは留守電を確認する。五件入っているが、そのうち四件はすぐに切れた後。たぶんセールスの電話だろう。そして五件目、いきなり受話器から響いた声は、 ──関崎です。また電話します。 簡単な一言だった。 上総は即、消去ボタンを押した。アナウンスで「ゼロ件です」のしゃちほこばった声が流れた。折り返しの電話をかけることはしなかった。 ──たぶん、今の時間は居ないだろうし。 父の仕事上、留守番電話を設置せざるを得ず、仕方なく今年の春から使っているのだが、実は上総宛のメッセージばかりで頭が痛い。 ──セットし忘れたことにしておこうか。 特に、関崎の声が入っている時はそう思う。 ──それにしても関崎って、こんな奴だったろうか。 部屋に戻り、窓を開け放ち制服のままベッドに横たわった。もう六時半過ぎなのに空はまだ明るい。六月中旬ともなるとだんだん日の落ちるのが遅くなるようで、風がまだやんわり冷たく感じる程度。庭にはあじさいの花が緑色のつぼみを少しずつ膨らませているようだ。まだ、夏には遠い。 ──俺の知っている関崎とは、やはり違う。 上総は目を開けたまま、天井を見上げた。 ──いくらなんでも、毎日留守電にメッセージを入れるような奴には思えなかったが。 自分自身の感覚で考えても、少し、何か、違う。 上総の知る限り、大抵の男子はあまり電話を好まない。もちろん何か用事があり相談しなくてはならないことがあればかけるが、それ以外は極力避ける。家族の居る部屋に大抵の場合電話機は設置されているし、そこで変な話をするわけにもいかない。何よりも長電話で怒られるケースの方が多い。一度上総も、たまたま誰かと長話をするはめになった時、母からの連絡を受けることができず思いっきりひっぱたかれたことがあった。 よっぽどのこと、用件がなければかけてこないものなのだ。 しかも、関崎とは。 ──あれだけ俺と関わらない方がいいって言っておいたのにな。 できる限り上総は話し掛けないように心がけていた。挨拶はもちろんするけれども、それだけだ。関崎もあらゆるやり方で上総にアプローチしてくるが、それもさらっと流すようにしていた。うっかり変なことを口にして、関崎へなんらかの理由を与えてしまうのは避けたかった。 ──また、かかってくるんだろうか。 父は今日も遅い。電話が鳴り響いた時に気が付いたら出なくてはならないだろう。 上総が関崎乙彦と初めて顔を合わせたのは、中学二年の学校祭でだった。 当時、本条先輩にべったりくっついて評議委員長教育なるものをみっちり受けていた時期だった。評議委員長だった本条先輩のお供として、生徒会室で他校の生徒会役員たちと挨拶する程度のものだった。その頃はまだ改選が行われておらず、生徒会副会長だった藤沖も同席していたはずだ。 何校か生徒会役員グループが訪れては挨拶し、言葉を交わしたが内容は殆ど覚えていない。当然、関崎が生徒会副会長として所属していた水鳥中学のグループとも何かかしら話をしたはずだが、全く記憶になかった。上総はどうも人の顔と名前を一致させるのが苦手だった。 その後、両校の生徒会顧問教師が意気投合したらしく、いつのまにか交流会を行うことが決まっていった。話自体は生徒会から流れてきたのだが、青大附中の場合どちらかというと評議委員会が優先される形となっていたので、いつのまにか上総が渉外という形で担当することとなってしまった。最初のうちは本条先輩がどんどん進めてくれていたが、評議委員長に指名されてからは自分ひとりでやらざるを得なかった。 何度か水鳥中学生徒会役員たちと顔を合わせて、両校の交流会を開くためのさまざまな準備を行い、とんでもないハプニングも乗り越えていくうちにいつのまにか、関崎と親しく交わるようになった。もともと水鳥中学生徒会役員の連中が、少し不良じみた……というか、いわゆるヤンキー風ということもあって、正直苦手な感じもしたのだ。その中で唯一、同じ感覚で話をすることができたのが、関崎だった。 ──確か、「シーラカンス」だとか言われていたんだろ? いろいろな出来事の合間に関崎の人柄を知ることもできた。 幼なじみの親友のためならば、土下座することも厭わない。 堅物で融通が利かないガリ勉野郎でありながら、どこか抜けてて憎めない。好きな女子……別に関崎がそんなことを言ったわけではないが……の前ではゆで蛸さながらに真っ赤な頬を膨らませ、意味もなくぐるぐる回ったりもする。 怒鳴る時は怒鳴り、喜ぶ時には素直に万歳する。 非常にわかりやすい感情表現をする男だとは、もちろん感じていた。 しかし、こういったらなんだが、女子受けはしないだろう。 ──制服をきちんと着たほうがおしゃれに見えるから、制服厳守を主張した。 などという全くわけのわからないエピソードを耳にするにつれ、上総の中では関崎の性格がどちらかいうと内に篭るタイプなのではというイメージが湧いていた。だからこそ、うまが合う。そんな気がしていた。 ──青大附高に入ってからいったい、何があいつを目覚めさせたんだ? 正直、上総にとって現在関崎の置かれている立場には信じ難いものがある。 なによりもまず、女子たちからの絶大なる人気。あれはいったいなんなんだろう? もちろん、外部生だからというのもあるのかもしれない。もともと青大附高に受験で入ってくる数少ない外部生は、どうしても興味の的となる。附属上がりの生徒たちは合格発表の直後、すぐに外部生の仔細についてありとあらゆるネットワークを集めて調べ上げるのが常だった。公立中学の友だちに少し動いてもらえればあっさり情報は入るし、彼ら彼女ら外部生がオリエンテーションで青大附高にやってきた段階で完璧に知り尽くされていると言ってもよい。もちろん外部生たちがそのことをどこまで気付いているかはわからない。しかし、関崎の性格や噂話などを聞く限り、女子たちの人気者になるとは思えなかった。むしろ、堅物すぎる関崎にとって、脳天気な青大附高は居心地が悪いのではないかと密かに心配すらしていたくらいだ。 なのに、あれはなんだろう? オリエンテーション当日から、いきなり直球そのものの自己紹介をやってのけた関崎は、あっという間にクラスのヒーローとして祭り上げられてしまったではないか! ちゃんと前もって関崎には、上総との交遊を話さないようにと釘をさしておいたにも関わらず、あっさり「俺は立村くんと友だちで」とばらしてしまい、上総としてはひやひやものだったのだ。上総自身は女子にどう思われようが知ったことじゃないし、最初から嫌われ者の道をそのまま歩いていくつもりだったのでどうでもよかったのだが、関崎まで最初からそんな扱いをさせるつもりはなかった。だから、絶対に言うな、とあれだけ言っておいたのに。 ──俺と友だちだとか言って、それで嫌われなかっただけでも奇跡なのにな。 上総の危惧は幸い、取り越し苦労に終わった。 入学当時から世話役として付き添った藤沖の存在も大きかったのだろう。 元・青大附中生徒会長で、当然A組の評議委員を早い段階で打診されたと聞く。高校のクラス自体は早い段階で決まるので、クラス委員関係は四月を待たずにある程度決定するのが常だという。最初からみそをつけていた上総には、一切お声がかりなどなかった。 ──だから、それがよかったのかもしれないな。 淡々とそれを受け入れる。今ならそれが、たやすくできる。 三ヶ月前の卒業式から、何かがゆっくりと変わっていった。 自分の思っていた通り、一年A組では存在があるのかないのかわからなくなり、同時に担任の麻生先生からも無視に近い扱いを受けていた。それはそれで構わない。中学時代やたらとしつこくまとわりついてきた菱本先生に比べたら楽だった。 だからこそ、関崎と多少縁があったとしても、周囲からは……特に女子たち……全く見えないものとして扱われ、迷惑にもならず居座っていられるわけだ。 かつての堅物ど真面目秀才野郎は、青大附高において、もはや誰もが知らぬものなし新しいヒーローとして熱い視線を浴びている。たぶん戸惑っているのは関崎自身だろう。 ──いい奴なんだが、けどな。 上総は起き上がり、机に向かった。予習復習なんてする気はない。 引き出しからノートを取り出した。購買部で手に入るタイプの、A5版のノートで表紙に浮き彫りの校章が浮かんでいる。一センチくらいの厚みがある。 開いてみた。書き込みはすべてドイツ語で行っている。英語なら両親もそれなりに読めるのでへたなことを書けないが、ドイツ語ならばうまくごまかせる。ドイツ語の文法は若干、英語に近いところがあるので上総も短期間でなんとか、マスターできた。もちろん大学の語学の授業、および辞書頼りなので正しい文章なのかはわからない。別にいいのだ。日記用なのだから。それも極秘の。 高校進学時、「おちうど」のおかみさんがお祝いに贈ってくれた万年筆を使う。 綴り始めた。だいぶ筆先も自分なりにしなってきた。インクの出すぎることもない。 ──関崎の件で天羽と話をする。天羽の考えとしては、今のうちに青大附属の基準を関崎に話しておくべきだという。難波、更科も同意見だ。しかし、五月の新歓合宿が終わった段階で関崎のポジションがA組の中で確固たる場所にあることを説明し、行動を慎んでもらうように話をつけた。天羽たちは納得いかないようだったが、まずは前期の改選が終わるまで様子を見るということでまとまった。 現段階において、天羽たちの不満を押さえることが僕のできる唯一の方法だ。 元・青大附中評議委員長だった天羽にとって、体育委員というポジションは納得のいかないものだというのは承知している。また、中学時代全く委員会を経験したことのない羽飛が評議委員を務めているのも、不可解だろう。僕自身は羽飛で問題ないと考えているが、それはまた別の問題だろう。羽飛についてはこれ以上何も言う気はない。 だが、これから先、A組の関崎の言動によっては、天羽たちC組チームがなんらかの行動を起こさないとも限らない。関崎については僕なりに、折りを見て話をしていくつもりだが、今の段階では情報収集に止めたほうがいいと考えている。 もちろん、個人名はイニシャルだ。 万が一ノートを盗まれたりしても、ドイツ語堪能な人間でなければ内容がばれることはほとんどないだろう。その点、自分に与えられた語学習得能力には感謝している。うっかり本音を書いて自分の首をしめるはめにはならないだろう。 ──万が一のことも考えて、フランス語で書くことも考えた方いいかな。 放課後はほとんど語学の授業を受けに大学へ出かけることについやされていた。中学二年の頃から英語の講義を週一の割合で受けることは許可されていたが、高校進学後は一気にその科目が増えた。同じ立場で、美術関連の講義を受けに通う金沢も、似たような状況らしい。 もともと部活に入る気もなかったし、委員会活動も一切手を出さないつもりの上総にとってはそれほど負担ではなかった。もっとも面倒なのはそれプラス、理数科目の補習も加えられた点だ。はっきり言って、これは苦痛以外の何者でもない。中学時代狩野先生の下で、いろいろと指導されていた頃は相性もあったのだろう、さほどでもなかったのだが、どうも担当の先生とうまが合わない。顔色を見ながら必死に問題を解き、「こんなのもできないのか」とか言わんばかりの表情を伺っては落ち込む、の繰り返しだ。 もっともこれは、上総も最初から覚悟していたことだった。 もともと、本来自分があるべきポジションなのだから。 落ちこぼれで嫌われ者、それでいい。まかり間違っても評議委員長になんて復活するなんてことはありえない。 上総はノートを閉じた。 卒業後しばらくして、狩野先生と一対一でゆっくり話をする機会を得た。その際いろいろと語るべきことを語った後、言われたことは、 「立村くん、差し出がましいようだけれども、高校に入ってからは日記をつける習慣をつけた方がいいですよ」 だった。日記なんて女子の書くものだ……とまでは言わないが、かつて「班ノート」記入を無理やり押し付けられた過去が今だに響き、日記というものに拒絶反応を起こしていた。狩野先生は、 「男子と女子の違いは、自分の内面にどこまでたどり着けるかでしょう。他の男子生徒たちにはこういうことを話しません。まだ今の段階では、無理に自分を見つめる必要もないからです。しかし、立村くんに対してだけは、あえて自分という人間が何を感じ、考えているかをじっと見据えてほしいと思わずには居られません。今まで無意識のうちに行ってきたことが実は、自分の思ってもみない感情のほとばしりから出たものだとか、なぜか人を傷つけてしまった、傷ついてしまった場合において、何がきっかけだったのかを粒さに観察することができます。繰り返しますが、これは他の生徒たちには勧めません。自分自身を見つめるよりもまずは体験する方が先決というタイプの生徒が殆どだからです。しかし、立村くんは自分自身を掘り下げる段階に今、来ているような気がします。つまり、精神的に、他の生徒たちよりも早く青春期に入ったからかもしれませんが」 珍しく熱く上総を説得してきた。その他、ドイツ文学のヘッセやゲーテ、およびロマン・ロランなどの作品を読み返すよう……一応上総はすでに、そのあたりの世界名作は読破していたので……勧めてきたのも驚いた。 天敵・菱本先生の言葉ならば無視してゴミ箱、だろうが、狩野先生の勧めることならば素直に受け入れてもいいだろう。どうせ人にも見せるものでもない。 珍しく上総は、人の助言を受け入れることにした。「他の生徒たちよりも早く青春期に入ったから」という、少々優越感をくすぐられるような言葉が心に響いたのも、事実ではあるが。 とはいえ日記といっても、実際は記録に近かった。 日記ではないけれども、評議委員時代に上総は本条先輩からいわゆる「評議委員教育」なるものを受けていたため、メモだけはしっかりつける習慣を身に付けていた。父からもらった黒皮の手帳に、しっかりと予定から他クラス、および他校の生徒の電話番号、その他本条先輩から教えられたテクニックなどなど。評議委員長の座を追われた段階で、その手帳は天羽に渡ったが、それが役立ったかどうかは定かではない。ないが、本条先輩の教えてくれた方法に関しては上総の身体にいつのまにかしみついていた。 すでに委員会から距離を置いた上総ではあるけれども、学校内の出来事に関するメモはこれから先、つけておいた方がいいとも思っていた。もちろんふたたび委員会に復活したいとはさらさら思っていないが、もし何らかの形で事件が起こった場合、過去データをもとに少しでも協力できるのではないか、という目論見もあった。 ──これから先、いろいろありそうだからな。 天羽、難波、更科、南雲、さらには羽飛。こいつらが全員なぜか、C組にまわされた段階で上総もいろいろ危険を感じてはいた。ちょくちょくC組に顔を出しては様子を伺っているのだが、今のところ南雲と羽飛との間ではトラブルはないようだ。評議委員である羽飛をうまくあしらう形で、元規律委員長だった南雲が通しているのが理由だろう。一番心配だったことでもあるのでその点はほっとしている。 しかし、問題は別のところから湧き上がっていた。 ──まさか、関崎とあそこまでこじれそうになるとは。 新歓合宿の際の出来事は非常に頭の痛いことだった。五月の新歓合宿後、一気に書きなぐった後死んだように眠ったことを、よく覚えている。 ──朝一番ならみな寝ているだろうと考えて、外の空気を吸いに出かけたが、まさかあんな早くに関崎がジョギングをやらかすとは思ってもみなかった。しかも先生までお供につけてだ。何よりも驚いたのは、関崎が直接朝、麻生先生に談判して早朝ジョギングの許可を得たという点だ。信じられないことだが、事実である。 関崎に関しては今までの経緯もあり注目はしていたが、ここまで自分の意志を貫き通す男子とは思わなかった。本来ならば許可がなかなか下りないアルバイトに関しても、入学オリエンテーションの段階で麻生先生に話をし、藤沖を味方につけて許可を得たと聞く。また、アルバイト先でたまたま見かけた轟さんの仕事を告げ口し、そのために彼女は特待生からはずされたというのもまた事実だ。 関崎は自分の意志で、自分が正しいと判断したことは他人がどう言おうとやり通すタイプの男子だ。それは僕も、交流会を通じて感じていた。また嘘を全く言わない男であるとも気付いていた。もちろんそれは長所だろう。しかし、それによってとばっちりを受けている人間がいるのも事実だ。轟さんのように、本来受けるべき特待生奨学金を受けられなくなったために、仕事をこれから別の場所で探さなくてはならない生徒も出てきている。 また、それを発端として、天羽たちC組グループの間から不満・不平も出てきている。 天羽たちも交流会を通じて、関崎と話す機会があったはずだ。関崎が入学を決めた時もさほどいやがってはいなかったようだ。それなりの噂も耳にはしていたはずだが、轟さんの事件が起こるまでは、別に気にもしていなかったようだ。 それが轟さんの出来事をきっかけに、一気に外部生に対しての不満が噴出した。 関崎だけではなく、他の外部生たちへの不満もあるのだろう。 関崎が、入学後一ヶ月も経たないうちに、女子たちおよび教師たちの支持を得たために、いつのまにか内部進学生たちの評価が下がっているように感じたらしい。実際、同じことはB組でも起きている。外部生たちが人一倍努力をして入学してきたことに敬意は表するが、だからといって内部進学生をないがしろにされるのはたまったものではない、という考えだ。 僕もこの件については、例の早朝ジョギングの件さえなければ、大して気にはしなかったろう。だが、あまりにも関崎の言動がよい形で目立ち、その反面内部進学生たちの立場が危うくなっているという現状は確かに感じている。 天羽たちの気持ちがわかる反面、関崎の人柄のよさも理解しているだけに悩むところである。 この日、本来書きたかったことの半分も綴っていない。そう感じる。 ──なんであいつ、よりによって俺のことに首をつっこんできたんだろう! 新歓合宿の最終日早朝、ひとりにどうしてもなりたくなり抜け出した自分が悪いのは承知している。麻生先生にとっつかまり、人間性を否定されるような罵倒を受けたのも仕方ないことだ。それが自分の立ち位置である以上、甘んじて受け止めるしかない。他人に迷惑はかけていないつもりだし、言い訳もする気はなかった。 しかし、まさか関崎に、 「俺が事情を立村から聞き出します!」 などとかばわれて面目なくするとは思っても見なかった。 ──あれは、してはならないことだろう。男子の世界では。 少なくとも関崎も、そのあたりの決まりは理解していると思っていたのだが、なぜいきなり割り込んできていろいろ言われねばならなかったのだろう。 関崎が、上総に対し、深い友情を感じているのは理解できる。上総も関崎のことは決して嫌いではない。 また、決してそれが悪意でないことも頭ではわかっている。 しかし、 ──まさか、同級生に天敵・菱本ばりの奴が混じっているとは。 あの時、誰もいなかったら殴りつけていたかもしれない。合宿中そんな衝動に駆られたことが、少なくとも三回ほどはあった。 なぜか天羽がうまく立ち回ってくれて、嘘みえみえの理由を述べてかばってはくれた。おそらく麻生先生も見抜いていたろう。天羽の性格を考えればそれは理解できなくもない。だが、ふたりのしてくれたことが結局は、A組の上総の立場をぐらぐら揺らしているのが現状だ。人を恨んではいけないと思うものの、やはり腹立たしく思ったりもする。 ──だがどうすればいいだろう。 それとは別に、天羽たちがもし、なんらかのいちゃもんをつけに関崎にぶつかってきたとしたら。今、一番恐れているのはそこだった。 関崎は今、評議委員の藤沖と一緒に行動している。藤沖は比較的関崎とうまが合うらしく、しょっちゅうなにかかしら兄貴風吹かせてアドバイスをしている。関崎も時々うんざりした顔を見せたりするものの、さほど文句を言うこともなく流している。 今はまだ、規律委員でおさまっているからよいものの、これから先が問題だ。 ──天羽たちも今はまだ大人しくしているが、これから先、先生たちや女子たちの態度が外部生寄りになってきたらプライドを傷つけられて憤るに決まっている。元・青大附属中学の評議委員チームが、外部生の足元で平伏すなんてこと耐えられないだろう。 上総のように最初から捨てているなら、構わない。 しかし天羽や難波、更科たちにとっての元・評議委員という肩書は、本来もっと大切にされねばならないもの。それを一切、ゼロに戻され、格下扱いされているという思いがこのまま何も起こさずにすむとは思えない。特に轟さんの事件は、元・評議委員たちにとって最大の憤りであったことは想像に難くない。女子というよりも「仲間」としてうけいれられている轟さんの身を、友情でもって守ってやりたいと感じる天羽の心意気には共感するものの、関崎のまっすぐな魅力を理解する上総には同調することができない。 なんとかしてうまく、やり過ごさねばなるまい。 仲良くなれ、とは思わないが、せめて何事もなくすれ違わせるだけでも。 電話が鳴った。聞こえた以上出ねばならない。予想はつく。 「はい、立村です」 ──立村か! ほっとした声と、深みのある短い区切り。 「関崎、だろう」 ──そうだ。元気か。 元気もなにも、つい数時間前教室で顔を合わせたはずだ。 「何か用か」 男子は用事がない限り、電話をかけないのが普通。 ──ああ、立村、今週の土曜、空いているか。 まただ。先週も、その前の週も。そう、あの新歓合宿以降かならず週一回かかってくる。 「いや、大学の講義があるんだ。ごめん」 ──そうか。なら来週また誘うからな。俺のうちで飯食わないか。 「ありがとう。また今度」 適当に礼を言って後、切ろうとすると関崎が続けた。とつとつとだが、決して受話器を置かせないという迫力を感じた。指先が重たくなる。 ──立村、俺はお前の味方だ。忘れるな。じゃ、また。 別にそんなこと、毎回毎回、どしっと付け加えなくてもいいのに。 いつも上総に電話をよこす時、関崎はその言葉を付け加える。 ──俺はお前の味方だ。 それが関崎の、上総に対する友情表現だと、理解はしている。しているのだが、 ──あいつはそういう人間だったろうか。 思わずにはいられない。もしそういう奴だと、一年前に気が付いていたとしたら、上総はこうやって関崎を青大附高に合格させようとしていただろうか。自分でもわからなかった。 受話器を置き、ふと思った。 ──こういう男を、杉本も、清坂氏も、好んだのだろうか。 # by maiyoru | 2009-02-22 00:23
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朝っぱらからみな元気でよいことだ。 いつものように上総が生徒玄関をくぐるとロビーの柱回りに備え付けられている椅子に座り語り合う連中がいる。陰では「外部三人組」とささやかれている。男ふたりに女ひとりという絶妙なバランスだ。夏服のYシャツをほとんど着崩さず、なにが面白いのか時折膝を打って笑っている。上総がいることに気が付いたひとりが、脳天気に挨拶する。 「立村、おはよう!」 英語科一年A組、同級生の関崎乙彦だ。シャツこそきちんとボタンをかけたままだが、汗っかきなのかやたらと手で空気を喉元に送っている。ちらと他のふたりも上総に視線を向けたがすぐ、共通の話題へと戻っていった。六月第二週、まだまだ涼しいはずなのに。 ──そういえば関崎は、朝バイトをしているんだよな。 上総は挨拶代わりに軽く頷いてみせさっさと教室に向かった。 一年A組の教室は一階の玄関すぐそば、昼休みは菓子パンの販売も行われる場所がロビー。昼休みすぐに買いに行けるのが育ち盛りの男子には嬉しい話だ。 ──あと、遅刻しないですむ程度か、メリットは。 英語科A組に所属することの利点を上総はあまり感じることがない。むしろかばんをおいたのち、友だちの固まっているC組に潜り込むことが多い。すぐに教室へ入ることができるというのは、居心地のよさにもよるが、なかなかしんどい。 「おはよ、立村くん」 早めに集まっているのは男子よりも女子のほうが多い。中学の頃からその傾向は全く変わっていなかった。教室でちろと上総をねめつける視線が圧倒的に多い中、明るく声をかけてくれるのは、中学時代の同級生たちだった。 「おはよう、早いな」 古川こずえと清坂美里くらいのものだ。ただし、古川がもともと英語科のクラスメートであるのに対し、美里は隣のB組所属だった。中学時代三年間、泣き笑いを共有してきた仲間たちが、クラス分かれした今でも自然に繋がっていられるのが上総には心地好い。 美里はこずえと顔を見合わせた。 「だって今日、朝の週番だから。規律委員は大変なのよ」 「朝早いわけか、でも玄関にはいなくていいのか」 「うん、大丈夫。玄関がしまる直前に集まっていればいいから。まだ時間あるしね」 上総は納得しかばんを机においた。確か規律委員の場合、遅刻者に違反カードを切る義務があるはずと聞いている。だがまだ一年の美里には、あまり面倒なお役目は回ってこないようだ。比較的規律委員会は、仕事の内容と相反して自由なところがあると、中学時代規律委員長を務めていた南雲秋世は語っていたが、高校はどうなのだろう。少し気に掛かる。 「立村、わりい、今日のグラマーの予習、ノート見せろよ」 「適当に見といてくれ」 集まっていた数少ない男子たちにも軽くあいさつをし、ノートを手渡した。 さほど話すわけでもないが関係悪化しているわけではないクラスメートとはうまく付き合っていきたい。英語科と銘打たれているだけあって非常に授業はハードだと言われている。上総自身はあまり感じたこともないが同級生たちはみなひいひい言っている。ノートを差し出すだけで人間関係がうまくいくのなら、それに越したことはない。 「あのさ立村、関崎に会わなかった?」 かばんから教科書とノートを取り出しながらこずえが問掛ける。机にもたれて、腕の週番ワッペンをいじっている美里も含め、今来たばかりのようだった。まだ八時を少し回ったところだ。 「玄関にいたけどな」 「やっぱりね」 なにがやっぱりなのかはわからないが話を合わせておく。 「また外部の子たちと固まっているんでしょうよ、ね、美里」 美里はしばらく返事をしなかった。こずえの支度する様子を眺め、 「関崎くん、そんなに外部同士のほうが落ち着くのかなあ」 しょんぼり呟いていた。 上総は聞こえないふりをした。答えは心の中にとどめておく。 ──たぶん、な。 いつからかはわからない。 きっかけが新入生合宿の辺りからと情報はもらっているが、上総は確認していない。関崎がやたらと外部三人組でつるむようになったのは合宿第一日目のドッジボール大会でのご褒美、高級中華料理をいただいた際、たまたま関崎と外部生の女子が隣り合ってからと聞いている。現場を確認した一部の男子から聞くところによると、ほぼ初対面にも関わらず食事の席では、関崎とその女子、ふたりの世界をしっかり構築し、誰も入ってこれないバリアを張っていたという。。 残念ながら上総は行きのバスで車酔いしてしまい、そのまま一日宿で死んだようにひっくり返っていたため、ふたりのいちゃつきぶり……と解釈しておこう……を確認はしていない。ただ、その日を境にやたらと楽しげに盛り上がっている外部三人組を見掛けるようになったわけだ。もともと外部生は放課後、補習授業が用意されているため、まとまりやすい環境下には置かれているのだが、それにしてもああしょっちゅうだべっているといやでも目立つ。外部生で必ずメンバーに加わっている女子が、静内さんというB組女子評議委員というところまでは聞いているが、それ以上は今のところ噂のみ。美里を通じて聞き知るB組事情で推測するだけだ。 ──気の合う同士、語り合うのは別にかまわないが。 上総はちらりと清坂美里を見た。 元気がなさそうなのは単なる寝不足だけではなさそうだ。 「清坂氏、ちょっと」 呼び掛けた。すぐに近付いてきた。 「なあに」 「これ、あげる」 これから週番を控えている規律委員に渡してよいのかとは思うが、今渡しておかないとタイミングがずれてしまう。A4版の大きめ封筒にまとめておいたスクラップノートを用意しておいた。空気が紙と紙の間に入らないよう丁寧に処理したので、綺麗には収まっているはずだ。 「こういうの、好きかなと思ってさ」 覗きこみ美里は小さく、歓声に似たなにかを声にした。 「うわあ、これ全部、外国の雑誌でしょ!凄い!立村くん、これ全部集めてくれたの?」 「うん、フランスなら清坂氏の好みかなとか思った」 当然、そう答えた。 「もしかして、これって、バースディプレゼントってこと?」 「かなり遅れたけど」 美里の顔に浮かんだのは、軽やかな満面の笑顔だった。 この表情が心地好かった。 たぶん、中学時代には感じなかった感情だろう。余計なものを求めてこないと知っているから、上総もめいっぱい美里にまっすぐ気持ちを伝えられる。 「ありがとう!これでまた、おしゃれ研究できちゃう。フランスの着こなしって日本と違って、ちょっとさりげないくせに可愛いの!」 美里のおしゃれ談義は半分以上わからないので相槌だけ打っていた。 すると聞き付けたこずえの茶々がやっぱり入った。 「ちょっとあんたたち、なあにエロ本の交換会やってんの!いくらお年頃でもねえ、朝っぱらからさあ」 下ネタ女王の名をはせた古川こずえ健在である。大抵朝っぱらから身も心も立ち上がるような下ネタ挨拶をしてくるのは古川のほうが多いはず。最近は哀れにも関崎に矛先がむいている。耳には入っているが男子である以上しっかり言い返すのが義務。上総はいつも知らんぷりを決めこんでいた。当然ただいまの勘違い発言も無視をする。 「こずえ、変なこと言わないでよ!立村くんいやがってるでしょ!」 「関崎はまだ来てないから大丈夫」 「そんなんじゃなくて!」 美里はいきり立った風に言い放ち、時間割の隣に張り付いている時計を見あげた。 「あ、そろそろ行かなくっちゃ! 週番の時間!」 すばやくかばんに上総の渡した封筒を押し込んだ。 「立村くんありがと!じゃあまたね!」 急ぎ早にA組から飛び出していった。 ──そうか、やはりな。 関崎の前では、上総との過去を匂わせたくないと、そういうわけだ。 修学旅行最後の夜にあわや不純異性交遊すれすれの行為をふたりでやらかし、その後何度もぶつかり合い、やっとたどり着いたふたりの場所。 もちろん美里と「付き合い」を経験したから得られたたくさんの思い出や感情もあるけれど、今、ようやく友だちという場所でおだやかに語り合えることに感謝している。 他の生徒たちからは 「立村は清坂に愛想つかされて逃げられた。今はお情けで友だち付き合いしてもらっているだけ」 という見方をされているがそんなのは気にならない。 上総からすると「付き合って」いた頃よりもずっと、美里を身近に感じる。好きだ嫌いだと言い合うよりも、三年間で集めた美里情報をもとに喜ばせたいと思う。そして美里も素直に両手を出して受け取ってくれる。気持ちの往復が行われて完結し、めんどうなことはなにひとつない。与えたものを受け取ってもらえることが、こんなに嬉しいとは中学時代考えてもみなかった。 「立村、ちょいと聞いてよい? 杉本さんから修学旅行の報告は受けたの?」 こずえが上総のノートを勝手に持ち出している。英語のリーダー訳だから別にかまわないのだが、下ネタ襲撃を覚悟しておいたほうがよい。こずえと語る際には欠かせないチェック項目である。 「関崎のこと、相変わらずなのかねえ」 「そんなの知るか」 こずえには過去三年のこっ恥ずかしい事件をしられているわけだから、隠すことはほとんどない。かといって大声で言い返す必要もない。ぼそりとつぶやくだけだ。 「で、聞きたいんだけど立村さ、最近いろいろ噂を聞いてないかなあ」 「なんの」 「ほらさ、中学の生徒会とか、杉本さんと佐賀さんたちとの戦い状況とか」 「俺の仕入れる情報は片寄ってるから役立たないだろう」 さりげなく交した。こずえの意図するところはだいたい読めていた。 かつては評議委員として動き回っていた上総には、それなりに附属中学上がりのネットワークを握っている。杉本梨南がらみの出来事もそうだが、それ以上に本条先輩のワンツーマン教育を受けた唯一の生徒だ。たとえものにならずとも、いざという時のために準備だけはしている。たとえばある日、担当委員が転校したりして空席になったら、上総の集めてきたデータはおそらく役立つだろう。元評議委員長だった天羽あたりに……もちろんA組の委員連中も対象ではあるが、おそらくお呼びはかからないだろう。 上総のかつての経験を、高校入学後初めて評議委員を務めるはめとなったこずえはかなり欲しているようだ。こちらから無理には教えないけれども、頼られたらやっぱり協力したいと思う、それも本心だった。 「だからあんた、そう卑屈になるのいいかげんやめな!ったくいつまでたっても本当に成長しないねえ」 嫌味をひとくさり。すぐに続けた。 「いやね、ちょっと気になることあるんだけどさあ、たいしたことないんだけど」 こずえの勘は鋭い。鼻が利く。最近何か事件が起こったとは聞いていないが、こずえが第六勘で感じるなにかがあるのだろう。今後のために情報収集したい。さりげなく尋ねた。 「たとえば」 「ほら、最近男子たちがさ、千代紙細工のアクセサリーとか指輪とかちらつかせてるじゃない、あれ、なんなのさ」 ──やっぱり流行り出したのか。 二週間前に上総が杉本梨南から奪い取った品の類らしい。もっとも上総は学校に持ち込むようなことはしない。我が家の机の引き出しの中に鎮座ましている。 「この前、東堂が没収された指輪のことか」 「そうそう、あいつが中学の不良彼女からもらったって奴。あれからやたらとね、男子連中が赤とか黄色とか乙女チックな花柄を指先やらノートやらいろんなところにちらつかせてるのよね」 「それは中学の修学旅行がきっかけだろう」 一応、そしらぬ顔で続けた。 「なんでも体験実習とかで千代紙細工の講習があったらしい。それを土産にしただけだろうな」 やっと合点がいったのか、こずえは三回手を打った。何度も頷いた。 「そっか、そういうことかあ。だから南雲が大量に千代紙グッズを押し付けられていたって訳かあ」 「中学三年の南雲ファンが渡したんだろうな」 上総は強引に奪いとったが。 「恋が実るおまじないってとこね。いいじゃんそれ。だからかねえ」 「何が」 まさかとは思うがかぎつけられたのだろうか。気になるがポーカーフェィスを決めこんだ。 「なんで藤冲もあんな千代紙細工の指輪もっているんだかって思ってたけど、そうか、中学に彼女ができたか」 藤冲については上総としてはノーコメントである。 知ってか知らずかこずえはノートを写しながら続けた。 「まあね、おくればせながらあいつにも春が来たのはめでたいことだけど、評議委員会をああおおっぴらにさぼるのはどんなもんかと思ってね」 ──そうか、探りをいれたいというわけか。 もう少しつっこんでみた。 「今の時期さぼると、上から目をつけられないのか」 「つけられまくりに決まってるじゃんよ。まあね、あいつも最近やる気ないのかなとも思うけどね。で、最近流行りの千代紙手帳なんか持ってるし」 ──相手は誰なのか確認していないのか。 その点だけ気になった。古川こずえの性格で、そのことを調べ尽くさないわけがないと思う。まだ確認できていないのだろうか。 「そんなに気になるのなら、聞いてみたらいいだろ。ここで俺に文句いってないでさ」 意外そうな顔でこずえは見返した。 「立村かまさかそんなこというとはねえ。みんなからさ、あれだけべたべたされたくないとか騒いでるくせに」 「あのさ、今の問題は評議としての活動を手抜きしているということだろう?」 痛いところを突かれたがあえて流す。話を逸らさないのがコツだ。 「俺の言いたいのは評議委員という立場から見た上で、どうすべきかってことなんだ。もちろん、誰かと付き合ってどうのこうのという話は立ち入らなくとも、委員会活動をないがしろにする訳は聞いてみる必要があると思う。俺が古川さんの立場なら、そうするな」 「なるほどね、そういう訳かあ」 「それとついでに」 上総はもうひとつ付け加えた。 「複雑な事情があるようなら古川さんの胸一寸に押さえておいてその上で放置するというのも手だよ」 「複雑なことってなによ」 「たとえばその相手の事情、いじめられていて仕方なく守っているとか、その他いろいろあるだろう。評議連中には話せないことならあえて放っておいてもらった方が助かる。とりあえず今古川さんがすることは事実関係の確認だけじゃないかな」 こずえは上総の意見を珍しく黙って聞いていた。 眉間に皺までこしらえている。 耳年増なのはいつものことだがまだ十五、十六のみそらでそんなに老け込んでどうするのだ。 「立村、あんたも鋭いこと言うね」 少し言葉をくぐもらせたが、すぐにきっぱりと割りきった口調で。 「けどさあんた、今のままで本当にいいわけ? 私にアドバイスして、今の意見をすべて私の手柄にされてさ、それで満足できるわけ?」 いきなり真面目に問い掛けられた。言われた意味がわからず問い返すしかなかった。 「なにがだよ」 「なんでもないよ。ちょっと思いついただけ。いろいろサンキュ。助かるね」 それ以上こずえは何も言わずに、戸口を見つめた。会話の対象その二、の登場だ。 ──今日もあいつに朝から下ネタ攻撃するってことだな。 上総はひそかに心の中、合掌した。関崎もこの三ヶ月、たっぷり古川こずえ下ネタ女王様の洗礼を受けているのだ。 「立村、おはよう」 毎日、よせばいいのに元気なあいさつだ。 上総がため息まじりに小声で答えるといつものようおになにか話したさそうな顔をし、近寄ってくる。 しかしそれが果たせたことはほとんどない。関崎の周りにはすぐに、 「ねえ関崎、今日の朝の一発。しっかり実がつまってた? それとも出しちゃった?」 さっさと席を移動したこずえが話しかけているし、 「関崎、今日はひまか? また結城先輩にとっつかまってたのか?それは災難だ」 などと兄貴風ふかせて話しかけるいかつい顔の藤冲が、 さらに、 「関崎、これ、ベースボールカードの本、入ってきてないかなあ」 とぽよんと張り付く片岡がいる。 ──兄と弟とお姉さんにかこまれた擬似兄弟の図。 とてもだが嫌われものの上総は近付けないし、その気もない。 ──それでいいんだ。 外部入学生というハンデを考えるならば、関崎のためにも近寄るべきではない。 関崎乙彦が入学してくるとわかった日から、上総は覚悟していた。 公立中学から入学してきた関崎にいかにも旧知の親友面して近づくよりも、最初から嫌われ者のひとりとしてそっと距離を置くのがお互いのためにもよいことなのだ。 ──清坂氏、もうそろそろB組に戻った頃か。 これから先、美里が関崎への想いをあからさまにするであろう日のためにも、かつての交際相手だった自分が目立つのは決して、許されないことだ。 # by maiyoru | 2009-02-22 00:15
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